今までの奴のことなんて忘れさせる権利

物理的日記をつけているという人は稀有ではあると思われますが

インターネットが情報知識の豊富でない人々にも開かれ

今では、だれでもマイブログ(マイコンピュータ的死語)を持ったり

Twitterにてとても気軽に人々は情報を発信されています。

人間は"昨日何食べた?"だの"今日何の日か覚えてる?"のような頻出質問が好きですが、

そのような質問にも記憶領域が数byteのひとでもネット上に一度発信してしまえば、

明瞭に回答することが可能です。※何処に記憶させたかのインデックスが必要

 

過去を見返すという行為は、

自分という人間が他人のように思えたり、また中途半端にリンクしたりして

そこそこ愉快な行為です。

いやな気分が書かれていて、当時は嫌だったんだろうなとか

自分というものを客観的に見ることができて自分がどのような人間かをうかがい知ることができます。

 

このように過去を記すということは有益ではありますが、

有害になることだってあります。

極端な例ですが、学生時代の非行がネットのデータの海のなかにあって、

その人が就職活動時にリサーチされた場合、不利になることは往々にしてあるでしょう。

上よりも軽い例ですが、より幼少のころの日記を両親などがつけていてそれが閲覧されるということは軽く検索すれば、その様子が散見されるでしょう。

よく議論される忘れられる権利というもので、情報化社会では過去が色濃く残ってしままうことが逆に問題になっています。

 

いやはや、近い将来に忘れさせる権利みたいなのができて

僕が普段行くスーパーで財布を忘れたことを忘れさせる社会になることを希います!!!